企業理念「花王ウェイ」の活用
下平博文
花王株式会社 コーポレート・コミュニケーション部門
◆「研究開発リーダー」 2011.5 (第62号) に寄稿したテキストを、そのまま掲載しています。
1.花王ウェイはどのように生まれたのか
花王ウェイが、その前身の 「花王の基本理念」 の改定版として発行されたのは2004年のことです。前年の2003年、花王は社員向けに経営史を発行しています。これは通常の社史とは異なり、創業以来のエピソードを時代順に “読物” としてまとめたものです。その後、海外にも多くの社員がいますから、日本の時代背景を共有しない彼らにもわかりやすいように英語でまとめ直し、さらにそのエッセンスを抜き出したものが花王ウェイの原型となりました。
この経緯から花王ウェイの特長を二つあげることができます。一つは創業以来の変わらぬ花王の文化・精神を確認する作業から生まれたこと。もう一つは、海外のメンバーを対象に、当初から英語を念頭において作成されたことです。その結果、花王の基本理念よりも普遍的な仕上がりになったという判断から、その改定版として発行されることになりました。
全文 ⇒ http://www.kao.com/group/ja/group/kaoway.html
2.花王ウェイの活動が事業戦略に組み込まれる
日本企業は必ずしも抽象的な “理念” の活用に熱心ではなかったと思います。それは花王も同様です。1995年に花王の基本理念を策定したときも、どちらかというと作ったところで一段落してしまい、取り立ててこれを活用しようという動きはありませんでした。しかし今回は事情が異なりました。
2004年当時、花王はアジアのマーケットで苦戦を強いられていました。そのてこ入れが2005年から本社主導で積極的に行われました。その際に “花王ウェイの共有” が、事業戦略の柱の一つとして大きくうたわれました。理念の活動にはトップのコミットメントが欠かせない、とはよくいわれることですが、花王ウェイの場合それに加えて事業戦略のなかに明確に位置づけられたことがポイントではないかと思います。
海外の関連会社において、花王ウェイの理解と共有を進めること――この与えられた課題に対して、私たち担当者 (事務局) は社外の知恵も借りつつ、手探りをしながら幾つかの活動を始めました。その一つにワークショップがあります。このワークショップは、実質的には2006年アジアから始まり、現在も国内外で継続しています。その間、試行錯誤のなかから幾つかの気づきを得ることができました。そうしたこともふくめ、次にこのワークショップについて少し詳しく紹介をします。
3.花王ウェイワークショップ
ワークショップは、職場単位で、職場が主体となって実施するよう設計されています。典型的なパターンでは、一つの教室 (会議室) に同じ職場のメンバーが20人前後、5人くらいずつ島に分かれて座ります。皆の前には、フェシリテーターと呼ばれる進行役が立ちます。ファシリテーターは、その職場のリーダーが務めるのが基本です。
先ず、全員で花王ウェイの本文の読み合わせをします。企業理念といわれるものの内容は大部分は当たり前のもので、しかも抽象度が高いので、一人で読んでいてもなかなか頭に入ってこないことが多いと思います。花王ウェイも例外ではありません。そのうえ花王ウェイは分量も多い。そこで、皆で読み合わせをするわけですが、そうすると初めて本文に向き合ったような気になり、「こんなことが書いてあったのか」 という発見も多いようです。これだけでも、かなりの成果といえるかもしれません。
次いで、「使命」 「基本となる価値観」 といった各項目に関わる過去の花王の経営者の語録やケースを学び、グループ討議に入ります。討議の目的は、各自の日々の仕事と花王ウェイとのつながりを確認することです。討議のアプローチは幾つかありますが、その一つに、これまでの自分の仕事のなかで達成感のあったものを持ち寄り、そこではどのように花王ウェイが実践されていたのか皆で話し合うというものがあります。
個々の仕事と花王ウェイのつながりが明確になることにより、次の二点が期待されます。一つは、各自が、そしてそれぞれの部署が、原理原則に基づいた判断 (Decision Making) で自律的に行動できるようになること。そして 「何をもって、花王で、またその職場で働くことの喜びとするのか」 を確認し、モチベーションを高く保つことです。
4.ワークショップ運営のポイント
ここで運営のポイントを二つあげたいと思います。一つには、職場単位で実施していることです。目的は、日々の仕事と花王ウェイのつながりを確認することですから、そのためには同じ仕事をしている、あるいは互いの仕事をよく理解している職場の仲間と議論するのが一番よいからです。
もう一つは、実施するかしないかの判断や、そのやり方について職場のイニシアチブを尊重しているという点です。事務局としては、標準的なプログラムや運営のガイドラインを用意し、また実施を推奨はしますが、最終的には職場のリーダーの意思を尊重しています。リーダーのなかには率先垂範で、あるいはその人なりのやり方でメンバーと必要なコミュニケーションをとっている場合もあり、それを 「ワークショップをやっている、やっていない」 でひとくくりにすることはできないと考えるからです。
5.理念は、答えやマニュアルではなく、むしろ “問い” ではないか
このように記すと、初めからきちんとねらいを定めて設計をしたようですが、内実は違います。職場単位というのも、海外関連会社から始めたから、そうせざるを得なかったという事情が先に立ち、やっていくうちに徐々にそのメリットに気づくようになりました。
同じように、ワークショップの議論に耳を傾けていくうちに、それがただ理念の文言を巡って議論をするというものから、もっと本質的なものを含んでいることに気づくようになりました。つまり 「その仕事の目的は何か」 「その職場の真の課題は何か」 「そもそも誰のために仕事をしているのか」 といった問いかけです。理念という “そもそも論” に基づいて話し合うということは、そうした問いかけを自ずと呼び起こすということです。
こうした経験から、私たちは理念には答えやマニュアルではなく、むしろより良い仕事をしていくための “問い” が記されているという捉え方をするようになり、ワークショップのやり方も徐々にその目で見直していきました。
議論は、最終的には 「事業戦略を達成するために何をするのか」 という理念と戦略の一体化にいくのかな・・・という気もしますが、どうも少し違う気がします。というのは、理念に基づいた議論は、戦略・戦術というよりは、その先にあるビジネスの使命感、あるいはその根底にある職場の風土や文化という曖昧ながら働く一人ひとりにとって切実なものに関わるように思えるからです。
6.理念共有の目的と課題
それでは、あらためて理念を共有する目的は何か、ということですが、それは “業績の向上” にあると考えます。ただし、理念の共有と業績の向上のメカニズムは明らかにできていません。しかしながら、その目的は?とたずねられたら、それは業績の向上と答えざるを得ないし、私個人の考えではそれ以外にあるべきではないと思います。
理念を共有することにより、原理原則に基づいた判断 (Decision Making) が行われ、職場のモチベーションを高く保つこと――そうしたことを通して、業績の向上に貢献することが活動の目的です。
次に課題について触れます。その一つは、活動の明確な成果指標がないということです。他の企業の方と情報交換の機会もあるのですが、多くの会社で同じ課題を抱えているようです。いっぽう、無理に成果指標を求めても自縄自縛になるだけ、というアドバイスをいただくこともあります。
もう一つの課題は、活動の継続性です。ワークショップも、継続して毎年実施している職場もあれば、一回やって 「よかったね」 でおしまいという職場もあります (それはそれで悪いわけではないと思いますが)。
花王ウェイ事務局の役割は、職場で常に何らかのかたちで花王ウェイが意識され、語られるような環境を維持することだと考えます。そのために、各職場で花王ウェイの実践を認め合う 「花王ウェイリコグニション」 というプログラムを用意する、各職場の花王ウェイの活動や実践事例をグループ全体に紹介する 「花王ウェイニューズレター」 を発行するなど、様々な活動も並行して進めています。ちなみにリコグニションは英語の ”recognition” であり、“真価を認めること、感謝の言葉” などの意味があります。また、同じコーポレートコミュニケーション部門で担当している社内媒体 (印刷物・映像・イントラネット) では、グループ内の出来事を花王ウェイと関連づけながら (社内の表現を使えば “花王ウェイを通奏低音にしながら” ) 紹介しています。
7.誰の、どのような幸せを願うのか
活動について、異論がないわけではありません。最初に述べたように、花王ウェイは社内で長年にわたって実践し、引き継いできたものですから、特にベテランの社員の間からは “何をいまさら” 花王ウェイについて考えるのか・・・という声が聞かれます。素朴な気持ちだと思います。また、“理念は過去の成功の方程式” であり未来の活動の足かせになるのではないか・・・という声もあります。
しかし、こうした捉え方も、理念を問いと考えることで、ずいぶん変わってくるのではないでしょうか。花王ウェイが発しているもっとも大きな問いは、使命にある “私たちは何のために存在しているのか” です。それには花王ウェイは 「豊かな生活文化の実現」 と答えていますが、それでは私たちが実現しようと考える豊かな生活文化とはどのようなものでしょうか。誰の、どのような幸せを願っているのでしょうか。これはモノづくりに直接関わっているメンバーや経営層はもちろん、間接部門のメンバーまで、社員一人ひとりが自問をするのに値する問いだと思います。一人ひとりが花王の事業活動を通じて、どのように人々に貢献したいと願うのか、そのことに思いを巡らし、自分なりの気持ちを持って仕事をすることが、メーカーとしての強さの源泉をなすのではないのでしょうか。
(IABCジャパン 理事)