『知と経営』 常盤文克

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社内コミュニケーション・企業理念・企業文化に関わる書籍を紹介しています。今回取り上げるのは 『知と経営 モノづくりの原点と未来』 常盤文克です。

 著者である常盤さんは、私が勤務する花王株式会社の社長、会長を務め、いまも多方面で活躍をされていますから、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 きっかけは、ある勉強会で、常盤さんの “黙の知” の思想と 4月にこの欄でも紹介したE.H.シャイン教授の企業文化についての考え方の類似が話題になったことでした。常盤さんの著作には、私自身一時期かなり深く関わったこともあり、“たしなみ” としてこの欄で紹介することはないと思っていたのですが、それも妙なこだわりではあります。そこで一転思い直し、企業文化に迫る一つのアプローチとして、常盤さんの考え方、特に “黙の知” について紹介することにしました。なお常盤さんの思想が一番コンパクトにまとまっているのは、「一橋ビジネスレビュー」 誌 (2004秋号) に寄稿した 『企業を動かす力 「黙の知」 の役割と意義』 ですので、ここではそちらの記述に沿って紹介をしていきます。

 常盤さんは、企業の知を “明の知” “暗の知” “黙の知” の三つの階層に分けています。これはE.H.シャインの “標榜されている価値観” “文物” “背後に潜む基本的仮定” に対応するものと考えて大きな間違いはないでしょう。

  “明の知” とは、データ・情報のような数値、言語などで明示できる知です。“暗の知” とは、明示できない暗示の知、属人的な知であり、一般に暗黙知と呼ばれるものに近いと思います。そして “黙の知” とは、その集団に基底する、潜んでいる黙示の知、沈黙の知であり、企業活動の土台、背骨であって、“明・暗の知” を根底で支えています。繰り返しになりますが、この “黙の知” は、シャイン教授の “背後に潜む基本的仮定” に当たるものであり、これが企業知、もしくは企業文化の核心になります。

 黙の知は、企業が日々の仕事を通して年月をかけて積み上げていくものであり、一言で定義しがたいのですが、あえていえばその企業独自の仕事の仕組み・仕方、ものの考え方、ことの処し方、さらには企業文化、風土、社風、伝統といったものを包含したものです ―― 少ししつこくなりましたが、だいたいイメージしていただけたでしょうか?

 それでは黙の知は、どのようなときに、どのような形で姿を現してくるのでしょうか。

■     企業間の優劣 ―― 同業種、同規模の会社で、一人ひとりの能力には差がないのに、企業の業績には明らかに優劣が出てくるは、黙の知の差の現れ

■     取り組みの違い ―― 他社と共同でプロジェクトなどに取り組むときの、物事の優先順位やアプローチの違い

■     合併時の混乱 ―― まさに互いの黙の知がぶつかり、いろいろな場面で混乱や寄り合い所帯の軋みが生じ、当初の予定通り進まない

  「企業の優劣は黙の知で決まる」 といっているわけですから、かなり大胆な仮説です。しかしよく考えてみれば 「企業の優劣は、人材/経営者/戦略/経営哲学で決まる・・・」 といった他の説明に比べて、取り立てて荒唐無稽とは論理的にはいえないでしょう。

 それでは黙の知をどう扱ったらよいのでしょうか。その部分を引用します。

 《 黙の知のマネージは難しい。黙の知はマネージしようとしてもできないのだが、これを豊かにすることはできる。黙の知という知の土壌を肥沃にすることにより、そしてそこに問題意識があるとき、新しい知が湧いてくる。それを私は、創造が湧き出るという意味で “創湧 (そうゆう)” と呼んでいる。この湧き出した知が、最終的には知の果実として現実の目に見える “かたち”、すなわち商品やサービスになっていく。そしてその商品やサービスは市場で評価されるのである。つまり、それぞれの企業の知の優劣が市場での評価にさらされることになる。いい知は生き残り、そうでないものは消えていく 》

 それでは黙の知を豊かにするにはどうすればよいのでしょか。

■     知を愛でる、敬する企業風土をつくる ―― 強い好奇心と探究心を持ち、徒にハウ・ツーという解を追うのではなく、「企業とは何か?」 「仕事とは何か?」 という根源的な問いをもつ

■     知を正当に評価する仕組み

■     人の温もりを大切にすること ―― 人の持つ “愛” とか “信”、あるいは “気” のようなものを介して、知と知が共振し、より大きな知となっていく

■     社外から異質の知を積極的に社内に取り入れる ―― 社内の “知の連作”、あるいは “知の囲い込み” は知を劣化させてしまう

 ここから常盤さんの思索は、個と全体の関係性、大自然の知といった独特の境地に入って行きますが、それは本人の著述に譲りたいと思います。今回は、企業文化のマネジメントの一つの可能性として、また常盤思想の入り口として紹介してみました。

 常盤さんには何冊もの著作がありますが、やはり最初の 『知と経営』(1999年) に、オリジナリティが一番色濃く感じられます。現在絶版になっているようですが、文庫化されたことでもあり、中古品で比較的容易に入手できそうなので挙げてみました。

 今回改めて読み直して二つのことを感じました。ひとつは、10年以上の月日を経ても、内容が全く古くなっていないこと。それだけ本質的な考察・議論がなされているのだと思います。もうひとつは、著者は一人称で語っていますが、これは花王のなかで脈々と引き継がれてきた、理想とすべき組織風土、運営の明示化であったということです。上梓されたのが、E.H.シャイン教授の 『企業文化――生き残りの指針』 と同じ年だったというのも、偶然とはいえいまとなっては歴史的なものを感じます。

 【今回紹介した本】  
常盤文克(ときわふみかつ)著 『知と経営 モノづくりの原点と未来』 日経ビジネス文庫,2005

下平博文
IABCジャパン 理事
(花王株式会社)