『日本の広報・PR100年』 猪狩誠也
社内コミュニケーション・企業理念・企業文化に関わる書籍を紹介しています。今回取り上げるのは『日本の広報・PR100年 満鉄からCSRまで』 猪狩誠也編著です。
この本は、いまのところ日本の広報・PRについての初めての、そして唯一の通史とされているそうです。2011年度の日本広報学会で、教育・実践貢献賞を受賞したことも関係者には記憶に新しいことと思います。
この本は、タイトルにもあるように明治時代から20世紀最後の10年(1990年代)までを射程に入れていますが、ここではその後半に絞って簡単に内容を紹介していきたいと思います。
1978年 「経済広報センター」 が、経団連によって設立されています。企業広報はこの出来事を境に、前と後で大きく二分されるという印象を持ちました。
これ以前の企業の広報・PR活動といえば、1960年代はマーケティング広報の全盛時代とされています。つまり、高度成長経済のなかで次々と現れる新しい商品の情報をメディアに提供するのが主たる役割でした。当時、評論家の大宅壮一が “PR" について 「高等宣伝だろう。宣伝らしからぬ宣伝こそ効果があるんだ」 といったという記述もあります。当時の知識人とよばれる人たちの認識は、おおよそ PR≒宣伝 といったものだったのでしょう。実は、この時期の経営者やPR担当者の認識もそれほど大きな違いはなかったかもしれない、と筆者は述べています。
ちなみに、PRはPublic Relationの略で、本来ニュートラルな言葉のはずなのに、何となく “売り込む” とか、駄洒落ではありませんが “アピール” するというニュアンスを感じませんか?これは、マーケティング広報全盛の1960年代にこの言葉が盛んに使われた、その名残ではないかと推察します。
さて、1967年には公害対策基本法が、そして翌68年には消費者保護基本法が制定されます。これらが象徴するように、1970年代に入ると企業は急速に社会的な課題に直面せざるをえなくなります。当然、広報・PRの役割も大きく変わっていきます。具体的には、広報部門の内部や独立した形での消費者対応組織を設置する企業が相次いできます。また、工場に地域社会対応部課を設置し、工場見学などの地域との融和を図る企業も増えてきます。
出来事でいえば、1970年の万国博覧会(大阪)、71年に1ドル=360円時代に別れを告げるニクソンショック、そして73年にはオイルショックが発生します。
戦後日本の高度成長を担ってきながら、一転して企業はそれがもたらした“ひずみ”の責任を問われるようになりました。この傾向は、公害問題やオイルショック時の、一部企業による社会の批判を招く行動が拍車をかけました。多くの企業では、こうした時代の変化に十分な備えができていたとはいいがたい状態であり、その70年代を筆者は次のように総括しています。
《公害、欠陥商品、悪徳商法など燃え上がる消費者運動の矢面に立たされ、頁数が増えた新聞、雑誌、さらにテレビの取材攻勢にさらされた企業広報は四面楚歌といっていい状態であった。60年代、マーケティング広報の蓄積はあっても、社会的な事件への対応はトップから広報マンに至るまでいかにも未熟だった》
こうした危機意識から生まれたのが前述の経済広報センター(1978年)です。現在の広報はここから本格的にスタートしたといえるでしょう。広報元年とよばれるゆえんです。
さて1980年代ですが、後半バブルに踊ったこの時代を特徴づけるのは、外に向けては文化イベント、内に向けてはCI=コーポレート・アイデンティティです。また、メセナやフィランソロフィという言葉が市民権を得たのもこの時代です。83年には 『エクセレント・カンパニー』 の邦訳が出版され、企業文化や理念といったものに光が当たるようになりました。また、いまではすっかり一般的になったコーポレート・コミュニケーション(CC)という言葉が使われるようになったのもこの時代です。
バブル当時は、著名な評論家の 「財テクをしない経営者は経営者ではない」 という発言が堂々と新聞に掲載されるくらいの勢いでした。ところが一転してバブルがはじけると、さまざまな企業スキャンダルが表に出てきました。たとえ不祥事や事件の原因がトップのモラルハザードにあったとしても、企業の場合まず矢面に立つのは広報であり、各社の担当者の明暗が分かれた時代でもありました。
経団連は1991年に「経団連企業行動憲章」を制定しましたが、このような社会の動きに危機感を強め96年に改定を行い、これを期に自社の倫理規定を設ける会社も増えました。言葉でいえば、コンプライアンス、インベスターリレーション(IR)、コーポレート・ガバナンスといったものが導入され、普及していきました。そうした一連の動きが、ミレニアムをはさんで CSR=企業の社会的責任という大きな流れに集約されていきます。筆者が1990年代につけたタイトルは 「CSR広報前夜」 であり、歴史の記述も一応そこまでになっています。
実は、この本を読み始めたのはかなり前のことなのですが、淡々とした事実の記述に、なかなかページが進みませんでした。そんなときに、たまたま参加した広報学会でこの本が受賞するのに立会い、編著者である猪狩さんの 「この本には思想がありません」 という言葉に衝撃を受けました。これはどういう意味でしょうか?このような問題意識を持って読み始めると、今度は俄然面白くなりました。私個人としては、歴史資料の読み方を一つ学んだように思います。
このような私の実感からいうと、この本には何らかの問題意識――例えば、広報・PRとは、そもそも何を目的とした仕事だろう?といったもの――あるいは自分なりに考えた仮説をもって取り組まないと、ちょっとつらいかもしれません。しかし、コミュニケーション担当者としては、キャリアのどこかで一度は押さえておきたい本だと思います。
なお、ここでは分量の関係から、あえて海外・国際広報と社内広報のトピックを省いていますが、本文では十分なページが割かれています。
【今回紹介した本】
猪狩誠也(いかりせいや)編著 『日本の広報・PR100年 満鉄からCSRまで』 同友館, 2011
下平博文
IABCジャパン 理事
(花王株式会社)